灌溪寺とは
灌溪寺について


由緒縁起
灌溪寺では開基として二人の位牌を祀っている。戦国時代末期武田信玄の家臣として活躍した依田常陸介信藩と弟信春である。信藩は天正8年(1580)田中城主となり、徳川家康軍の猛攻に屈しなかった名将として知られ、天正11年(1582)2月23日信州岩尾城にて36歳の若さで戦死した。弟の信春も同じ戦いで34歳で没している。また藩溪寺は今川家の香花所〔菩提寺)になったこともあり、奥方の墓があったとも言われるが詳しいことは不明である。いずれにせよ灌溪寺は峠の要所に祀られた毘沙門様をもとにして創建され、鎌倉時代から領主や村人や旅人達の信仰に支えられ、法灯を守り続けて来た。
曹洞宗とは
曹洞宗の教え
宗旨
曹洞宗は、お釈迦さまより歴代の相師(そし)方によって相続されてさた「正伝(しょうでん)の仏法 (ぶっぽう)」を依りどころとする宗派です。それは坐禅の教えを依りどころにしており、坐禅の実践によって得る身と心のやすらぎが、そのまま「仏の姿」であると自覚することにあります。
そして坐禅の精神による行住坐臥(ぎょうじゅうざが)(「行」とは歩くこと、「住」とはとどまる こと、「坐」とは坐ること、「臥」とは寝ることで、生活すべてを指します。)の生活に安住し、 お互いに安らかでおだやかな日々を送ることに、人間として生まれてきたこの世に価値を見出していこうというのです。
教義
私たちが人間として生を得るということは、仏さまと同じ心、「仏心(ぶっしん)」を与えられてこ の世に生まれたと、道元禅師はおっしゃっておられます。「仏心」には、自分のいのちを大切にするだけでなく他の人びとや物のいのちも大切にする、他人への思いやりが息づいています。しかし、私たちはその尊さに気づかずに我がまま勝手の生活をして苦しみや悩みのもとをつくってしまいがちです。 お釈迦さま、道元禅師、整山禅師の「み教え」を信じ、その教えに導かれて、毎日の生活の中の行い一つひとつを大切にすることを心がけたならば、身と心が調えられ私たちのなかにある「仏の姿」が明らかとなります。 日々の生活を意識して行じ、互いに生きる喜びを見いだしていくことが、曹洞宗の目指す生き方といえましょう。
曹洞宗は、お釈迦さまより歴代の相師(そし)方によって相続されてさた「正伝(しょうでん)の仏法 (ぶっぽう)」を依りどころとする宗派です。それは坐禅の教えを依りどころにしており、坐禅の実践によって得る身と心のやすらぎが、そのまま「仏の姿」であると自覚することにあります。
そして坐禅の精神による行住坐臥(ぎょうじゅうざが)(「行」とは歩くこと、「住」とはとどまる こと、「坐」とは坐ること、「臥」とは寝ることで、生活すべてを指します。)の生活に安住し、 お互いに安らかでおだやかな日々を送ることに、人間として生まれてきたこの世に価値を見出していこうというのです。
教義
私たちが人間として生を得るということは、仏さまと同じ心、「仏心(ぶっしん)」を与えられてこ の世に生まれたと、道元禅師はおっしゃっておられます。「仏心」には、自分のいのちを大切にするだけでなく他の人びとや物のいのちも大切にする、他人への思いやりが息づいています。しかし、私たちはその尊さに気づかずに我がまま勝手の生活をして苦しみや悩みのもとをつくってしまいがちです。 お釈迦さま、道元禅師、整山禅師の「み教え」を信じ、その教えに導かれて、毎日の生活の中の行い一つひとつを大切にすることを心がけたならば、身と心が調えられ私たちのなかにある「仏の姿」が明らかとなります。 日々の生活を意識して行じ、互いに生きる喜びを見いだしていくことが、曹洞宗の目指す生き方といえましょう。