
- Kankei-Ji Temple in Fujieda,Japan -
about Kankei-Ji
名称 | 石龍山(せきりゅうさん) 灌溪寺(かんけいじ) |
所在地 | 〒426-0213 静岡県藤枝市中ノ合68番地 |
電話番号 | 054-638-0007 |
FAX番号 | 054-638-1338 |
宗派 | 曹洞宗 |
本山 | 福井県 永平寺(道元禅師が開かれました) 神奈川県 總持寺(石原裕次郎の菩提寺) |
本寺 | 藤枝市下薮田 最林寺末 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
草創 | 詳細不明 1220年頃承久年間ではないかと言われております。1429 年(永享元年)に藤枝市西光寺の末寺になるとの記録があります。そのことにより推察しますと、以前は浄土宗であったようです。 |
改宗 | 1580年(天正8年) 最林寺三世歓室長台大和尚により曹洞宗に改宗されました。 |
開基 | 田中城守 依田信蕃・弟信奉 依田信蕃は天正7年~10年まで田中城に在城されました。その間に潜漢寺を再興された様です。 ※開基とは、お寺を創建したり再興したりする時に中心となり力を尽くされた方を言います。 ※田中城は 1537年(天文6年)今川氏により築かれた城です。 |
本堂 | 平成2年新築 |
客殿 | 平成22年新築 |
観音堂 | 平成21年新築(大慈殿) |
毘沙門堂 | お寺から東に約500mの第2東名のそばに、鎌倉時代に開かれた毘沙門堂があります。 毎年1月2日には大祭(だるま市)が開かれ、商売繁盛、心願成就を祈る人々で賑わっています。また、ご本尊は 12 年に一度、寅年にご開帳されます。最近では平成22年10月にご開帳法要が 行われました。 |
現住職 | 八世 加藤仁道(かとうじんどう) |
Origin
灌溪寺のある中合の里は、今日では中心地から離れた部であるが、鎌倉時代から戦国時代にかけては、鎌倉街道の脇道が通っていた。奈良・平安時代中期までの官道は、島田初倉-焼津小川-日本坂という海岸添いを通るルートであったが、鎌倉時代に入ると馬上の武士集団の移動のために、湿地帯をさけて、雨の日にも通行可能な山裾のルートを利用するようになった。島田東光寺→谷稲葉→花倉→中ノ合→高田→岡部への脇道が開かれたのである。
すると、葉梨の地区には都の戦乱を避けた公家や、今川一族が移り住むようになった。それに伴ってこの地区にも新しい寺院が開創されるようになったのである。この葉梨地区に古い由緒や伝説を持った神社仏閣が多いのは、このような理由による。鎌倉時代の初期の承久年間(1217~1221)、波梨入道と呼ばれた従五位下白尾三郎行政という公家が、隠居してこの葉梨の里に住んでいたという。記録が残されていないので伝説的人物として扱われているが、波梨入道は毘沙門天を深く信仰していて「生毘沙門」と称されていたという。
毘沙門天は別名多門天とも倶毘羅王とも称し、仏法を守る四天王の一つで、北方を守護し、甲冑をつけ右手の上に宝塔を載せている。波梨入道が没すると、その遺骸を葬った傍に毘沙門堂を建立した。現在うすい坂の西の入口に透っている毘沙門堂がそれであり、初めは真言宗に属していたと喜われ、後には浄土宗に転宗した。このお堂の脇には「入道が滝」と呼ばれる霊泉があり、小さいけれど今でも清らかな水が流れているが、「灌溪寺」という寺名はこの滝に由来しているものと思われる。
「駿河記(桑原藤泰著文政元年1818)によると灌溪寺は永享元年(1429)頃藤枝の西光寺の末寺になったと記されているから、曹洞宗に改宗される以前は浄土宗であった。開山の虎山については名前だけが言い伝えられているだけで詳しいことは不明である。その後天正8年(1580)依田信蕃によって再興され、最林寺三世歓室長恰によって曹洞宗となった。さらに貞享2年(1685)八月最林寺八世匝天恕周が寺領四石五斗の地を受けたため、匝天は中興開山とされた。
灌溪寺では開基として二人の位牌を祀っている。戦国時代末期武田信玄の家臣として活躍した依田常陸介信藩と弟信春である。信藩は天正8年(1580)田中城守となり、徳川家康軍の猛攻に屈しなかった名将として知られ、天正11年(1582)2月23日信州岩尾城にて36歳の若さで戦死した。弟の信春も同じ戦いで34歳で没している。また藩溪寺は今川家の香花所〔菩提寺)になったこともあり、奥方の墓があったとも言われるが詳しいことは不明である。いずれにせよ灌溪寺は峠の要所に祀られた毘沙門様をもとにして創建され、鎌倉時代から領主や村人や旅人達の信仰に支えられ、法灯を守り続けて来た。
about Soutousyu
今から八甘年ほど前の鎌倉時代に、「道元禅師(どうげんぜんじ)」が 正伝の仏法を中国から日本に伝え、「瑩山禅師(けいざんぜんじ)」が全国に広められ、「曹洞宗 」の礎を築かれました。 このお二方を両祖と申し上げ、ご本尊「お釈迦さま(釈迦牟尼仏)」とともに、「一仏両祖(いちぶつりょうそ)」として仰ぎます。
Doctrine
曹洞宗は、お釈迦さまより歴代の相師(そし)方によって相続されてさた「正伝(しょうでん)の仏法 (ぶっぽう)」を依りどころとする宗派です。それは坐禅の教えを依りどころにしており、坐禅の実践によって得る身と心のやすらぎが、そのまま「仏の姿」であると自覚することにあります。
そして坐禅の精神による行住坐臥(ぎょうじゅうざが)(「行」とは歩くこと、「住」とはとどまる こと、「坐」とは坐ること、「臥」とは寝ることで、生活すべてを指します。)の生活に安住し、 お互いに安らかでおだやかな日々を送ることに、人間として生まれてきたこの世に価値を見出していこうというのです。
私たちが人間として生を得るということは、仏さまと同じ心、「仏心(ぶっしん)」を与えられてこ の世に生まれたと、道元禅師はおっしゃっておられます。「仏心」には、自分のいのちを大切にするだけでなく他の人びとや物のいのちも大切にする、他人への思いやりが息づいています。しかし、私たちはその尊さに気づかずに我がまま勝手の生活をして苦しみや悩みのもとをつくってしまいがちです。 お釈迦さま、道元禅師、整山禅師の「み教え」を信じ、その教えに導かれて、毎日の生活の中の行い一つひとつを大切にすることを心がけたならば、身と心が調えられ私たちのなかにある「仏の姿」が明らかとなります。 日々の生活を意識して行じ、互いに生きる喜びを見いだしていくことが、曹洞宗の目指す生き方といえましょう。